「めるちる」の正体はなぞのままにしておくつもりでサイト運営をしてきましたが、人間ある程度の歳になると様々なことを話したくなるものです。
何を言ったか言わなかったか、いちいち覚えていられる年齢ではなくなりました。
だから小賢しく生きるのはもうやめよう・・・・・
プロフィールで自分を飾るつもりもなくなりましたので、正直に記すことにしました。
以下、タメ語口調の記載ですが、どうぞお許しくださいませ。
「めるちる」の由来
正直に答えると幻滅する方も多いだろうが、幻滅されて困るほどのものに確立されていないので、迷うことなく答えることにする。
飼っていたインコの名前が「シロ」
飼っているネコの名前が「メル」
その二つの名前を組み合わせただけ。
ただし「シロメル」では白目みたいだし、「シロメロ」では昼メロみたい。
「メルシロ」だと「のりしろ」のようだし、「メルシル」だと汁物の名前のようだ。
結局「メルチル」で行くことにした。「チルメル」も考えたが「チャルメラ」のようなのでやめた。
ぶりっ子をするつもりは無かったが、「メルチル」より「めるちる」の方が可愛かったので、やっぱり可愛い方に決めた。でも決してぶりっ子では・・・・ない。
生まれ
島根県美濃郡匹見町で生まれる(市町村合併で、現在は憧れの市(島根県益田市)となる)。
日本一の過疎地と騒がれ、テレビや雑誌にちょっとだけ出たことがある。
(もちろん、小学生として)
当時、私の同級生は7人だった。これは校内最多人数である。
私の兄の学年は3人。一学年上は2人だった。
児童数は少なくても、毎日が楽しかった~!
結婚
結婚と同時に夫が山口県徳山市に転勤となり、式を挙げた直後引越し。
徳山に5年半住む。その間に長男と長女を出産。(長男は私の22歳の誕生日に生まれた)
そして夫の転勤で鳥取県米子市に引越しとなる。ここでは3年生活した。
米子に在住中、次女を出産。
次に高松へ転勤。高松には5年半住むことになった。
徳山も米子も高松も、それぞれ最高の土地だった。楽しい思い出ばかりが残っている。
老後は昔を懐かしんでこの三箇所を夫婦で巡るのが、私の夢の一つ。
現在まで
当時、長男中学2年生、長女小学5年生、次女小学2年生だった。
長男が広島の高校を受験することになり、広島に永住することを決めマンションを購入。
私はもともと広島で働いていたこともあったし、実家に近くなったので違和感は全く無かった。
・・・と言うより、私にとって広島は、いつかは帰りたいと願っていた土地だったから、このタイミングは「超ラッキー!」
容姿
「大きいけど、小さい」(昔子どもに良く言われた言葉)
「これで痩せていたらめちゃくちゃ小柄なのに」(自分でもそう思うから否定する気はない)
「ころがった方が早い」(これに関しては声を大にして言いたい。絶対歩いた方が早い!ころがれんし…)
「お母さんの足、頭が二個分」(めったに見ない全身鏡を見るたびに愕然とし、納得する)
自分ではスマートに颯爽と歩いているつもりだが、先日正面で私が近づくのを待っていた娘が「可愛そう・・・」と小声でつぶやくのが、・・・・・・聞こえた。
内面
実は心底「痩せたい!」願望がある。
でも、「いつか痩せる!」とあまりにも長いこと思い続けてきたので、
心底の願望ではなくて本当は寸底なのかも・・・
「もし痩せられたらラッキー!」は、やっぱり心底とは言えないね・・・・・・。
上記の理由から、意思はとても柔らかいのだろう。(柔らかい!キッパリ!)
つまり、外見も内面もとても柔らかい!
自分に厳しく無い分だけ、人にも厳しくするつもりは更々無い。
優しい人が大好きだから、自分もそうありたい。
好きな食べ物
嫌いな食べ物
「大蒜が嫌いなのにキムチが大好きになった理由」
長男を妊娠したとき、初めてのつわりに苦しんで1ヶ月もたたないうちに体重が10kgも落ちた。
(今考えればうらやましい限り。実は二人目三人目もつわりの度に10kgは体重が落ちている。そしてその後の復活力も、類を見ない!)
その時に、今まで決して口にする気も無かった「キムチ」だけが無性に食べたくなり、「キムチ」でつわりを乗り切ったのだった。
それ以来、キムチは好物の部類に入っている。
好きなタイプ
でも、私には「夫」がいるので、あえてそういう人を「好きなタイプ」に挙げておく。
なにせ夫は腰痛に鞭打ってでも白馬に跨ろうとするタイプ・・・。
・・・これは私の避けられない運命なのだろう。
家族
夫・・・1人
子ども・・・3人(ありがたいことに3人とも既に結婚)
孫・・・8人
猫・・・1匹
子どもは「長男」「長女」「次女」の順。
長男は2002年2月結婚 現在2男1女の父親をしている。すっかり一家の主になりきり、私たちも彼を頼る老夫婦になりつつある。
次女は2005年6月結婚 現在1女1男の年子を持つ母親。既にたくましい母になっている。
長女は2006年4月結婚 現在2女1男の母! 現在元気のいい長男を追いかけまわしながら乳飲み子を抱え、ふらふらしながら育児奮闘中です。
孫はもっと増えるのだろうか?(・_・;)
良かった、若いうちに子どもを産んでおいて・・・。
まだちょっと元気が残っているうちに、孫とたっぷり遊べる・・・(*^_^*)
職業
母・・・らしいこともしていない。
主婦・・・一番縁遠い職業かも。
実は広島市内にあるパソコンスクールの講師をしている(一応インストラクターの資格有り)。
「Word」「Excel」等、Microsoft Office 製品のことは詳しいが、それ以外は努力努力の日々である(努力しているようにも見えないが・・・)。。
夢
先に記したように、老後なつかしい土地を巡るのも夢の一つであり、スマートになることも夢。
でも最大の夢は、「物書き」になることである。
中学のときにシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」を読んで以来、現実ではない世界への憧れが始まった。
そのとき以来の創作癖がいまだに続いている。
私の性格は「夢に向かってまっしぐら!」とは程遠いので、いまだにホンワリ夢のまま、実現しそうに無い。
そういう私も7年前に50代に突入。
最近では、いままでの柔らかい自分から脱するために、自己啓発の本を買いあさる日々。
結構面白いので乱読するが、いつも「ああ、面白かった!」で終わっている。
さあ、夢はどうなる?
夢は夢のままで終わるのか?
本の紹介(をするのがそろそろ恥ずかしくなった・・・・(-_-;))
過去に随筆が新聞に掲載されたことがあるが、自分の書くものが世間ではどの程度に評価されるのか? それを知りたくて、一番短い小説を出版社に送ったことがある。
その結果、送り返されてきたものはとても丁寧な書評で、しかもその内容は全て私を有頂天にさせてくれるものばかりだった。
その書評も1名だけではなく5名分はあったと思う。
出版社内の複数の方が私の小説を読んで出版するか否かの検討をされたということが、私を喜ばせた。
でも、検討会議の結果、当時小説はほとんど売れず、HowTo本ばかりがもてはやされる時代であったから、全額出版社負担はできないと言われ、一部自己負担するなら、全国の書店に並べる営業は出版社が全て行うと言われた。
と言われても一部負担の金額が小額ではない。
迷う私にとどめの一言!
「あなたはこの本一冊で終わる方ではないと感じています」
この営業言葉は迷いを吹っ切る威力があった。
今にして思えば、なんて優秀な営業マンだろう。
私はその言葉に乗せられ、本を一冊出版したのである。
「人前でも押さえられなかった涙だったが、最後のまとめを読む頃は、すがすがしい風が通り抜けるようだった。本を閉じてもいつまでも余韻が残り、もう一度読みたくなる・・・、そんな一冊だ。」
フーランさんの感想です。(ありがとう)
本の帯には「エッセイ」とあるが、この物語はフィクションである。
主人公も男性。
主人公の男性が過去を随想するという形でまとめ上げているので、出版社の編集担当の方に言われるがまま、「エッセイ」で出版した(もちろん後で後悔した)。